トイ・ストーリーの大ヒット
自ら創業し育て上げたアップル。
そこから追われた時の心境を、のちにスティーブ・ジョブズ氏は、こう語っている。
スティーブ・ジョブズ
「私は敗北者で、シリコンバレーから逃げようとも考えました。
しかし私は、やはりこの仕事が好きだったんです。
アップルに拒まれても好きなものは好き。やり直そうと決心しました」
全米で最も有名な失業者と呼ばれたスティーブ・ジョブズ氏は、
まもなく新会社「ネクスト社」を立ち上げる。
大学向けの高性能コンピューターを作ったが、またも機能を追求しすぎ、
1台6500ドル(約82万円 ※当時のレートで換算)という高額となり全く売れない。
さらにあの映画監督、
ジョージ・ルーカスからCG部門を買い取り制作会社としたが、
これがまた、鳴かず飛ばずのシロモノだった。
ジャーナリスト アラン・ドイッチマン
「スティーブ・ジョブズ氏は、アップルの株を売って得た金を、ほとんど使い果たしてしまいました」
だが、
その制作会社が作った1本の映画が、
スティーブ・ジョブズ氏を救う…!
それが、1995年公開の映画、
トイ・ストーリー。![]()
その年ナンバー・ワンのヒット作となり、
アカデミー賞3部門にノミネートされた。
その後も、
ファインディング・ニモやカーズといった
大ヒット作を世に送り出すその制作会社とは、
ピクサー・アニメーション・スタジオだったのだ。
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ジャーナリスト アラン・ドイッチマン
「スティーブ・ジョブズ氏は、ピクサーの成功によって、再び億万長者になったのです」
ローリーン・パウエルと娘・リサ
スティーブ・ジョブズ氏はプライベートでも、1989年に出会った8歳年下の、
ローリーン・パウエルと結婚。
そして1983年にタイム誌へ書かれた、かつての恋人との間に出来た娘、
リサを認知した。
実は、
スティーブ・ジョブズ氏が手掛けたあのコンピューター、
Lisa(リサ)の名は、彼女から取ったもの。
以前は、親になる自分を受け入れられなかったという
スティーブ・ジョブズ氏だったが、
アップルの挫折とその後の苦労を経て、スティーブ・ジョブズ氏は確実に変わっていった。
ビル・ゲイツとウィンドウズ95
一方アップル社は、1990年代に入り、ずっと苦境をさまよっていた。
変わって台頭したのが、
ビル・ゲイツ率いるマイクロソフト社。
特に1995年に発売されたウィンドウズ95は、
全世界で1億本をも売り上げる大ヒットを記録。
この世のパソコン全てがマイクロソフトに支配される、
そう言っても過言ではない勢いだった。
巨人マイクロソフトに立ち向かえる勇者はいないのか…!?
時代は再び、
スティーブ・ジョブズ氏の出番を用意していた…。


